CGMの現在と未来に行ってきたよ!後編:パネルディスカッション「日本型CGMの海外進出」「N次創作を前提としたコンテンツプラットフォーム作り」


今回は後半のお二人のお話をご紹介する予定でしたが、こちらの都合により記事の編成を変更してお送りしています。


えー、恋塚さんと濱野さんのお話はとても分かりやすかったのですが、公開講座ということもあって若干内容が一般向けでしたので、改めてご紹介をする必要もないかな、と個人的に判断しました。


それより、その後のパネルディスカッションの方が興味深かったのでご紹介したいと思います。


第一のテーマは「日本型CGMの海外進出」


後藤さんや伊藤さんのお話によれば、初音ミクを筆頭とする日本型CGM文化は意外と海外でポジティブに受け入れられているとか。ただ、海外に於いて任天堂がNINTENDOであるように、初音ミクがMIKUとして捉えられたかといえば、そういう事ではなくて、飽くまで『おいおい、日本がまたなんかおもしろいことやってるぜ』的な風潮だったそうです。


まぁそうですよね。UGC文化が“同人活動”の延長にあることは今や常識ですし、そういう日本独特の空気が外国の方々に伝わることは非常に難しいと思います。そもそも、現状どうして日本型CGM文化が斯くの如き顛末を辿ったのかという答えは未だに出ていないわけですし。濱野さんが講演の中で『GCMという考え方は実はまったく新しいモノではなくて、2000年代、インターネットの爆発的普及によりそのインフラが整っただけ』と仰っていましたが、それは飽くまで社会学的な見地からの分析であって、「なぜ初音ミクが流行ったのか」という現象単位での答えはまだ出ていないんじゃないかなぁ。


「パッケージが可愛かった」「架空の女の子をプロデュースするという発想が新しかった」「ニコニコ動画のおかげ」「vocaloidという技術がそもそも優れていた」「大規模制作から少数制作へという流れにマッチしていた」…。


こうして挙げてみればきりがありません。これら全てが一因だったのかもしれないし、ここに挙がっていない決定的な動因があったのかもしれない。


初音ミク鏡音リン・レン巡音ルカの発売順が逆だったら?」「初音ミクの声優が藤田咲じゃなかったら?」「“みくみくにしてあげる♪”や“メルト”が発表されなかったら?」…。


歴史の中に鱈レバーを夢想したところで何が得られるわけでもありませんが、ともかく日本のGCM文化が何か単一の理由でこういった発展をしてきた、という論調に一石投じてみたりするわけです。


それにしてもCGM文化を牽引してきた名も無き不特定大多数(crowd in cloud)の動向は常にコンテンツプロバイダーの予想の一次元上を行きますね。プロバイダー側の座標空間では消費者の動向を読むことはなかなかどうして難しい。改めて、コンテンツがコモディティ化することはなさそうだなと胸をなで下ろします。


さて、第二の議題は「N次創作を前提としたコンテンツプラットフォーム作り」ですが、簡単に説明してしまえば、『これからは開発段階でCGM展開を視野に入れたサービスがスタンダードになるのか』ということですね。


個人的な意見は『うん』という一言に尽きます。が、まぁこれはそこまで深く突っ込まないでもいいのかな。


また、そういったコンテンツプラットフォーム制作につけて濱野さんが「マイクロペイメントの導入」を指摘していたのが印象的でした。「マイクロペイメント」は拙記事「ゼロ年代最後の日に」でも取り上げているP to P(prosumer to prosumer)の直接課金システム、いわゆる“投げ銭”の事です。濱野さんは『N次創作を前提としたコンテンツプラットフォームを作るならば、プロシューマーへの制作インセンティブも兼ねた上でマイクロペイメントを導入すべきではないか』と指摘。これに対して恋塚さんは『今現在のような、公式チャンネルと一般動画という“プロ”と“アマ”の敷居を取り払い、二者を混在させたサービスにしていくのであれば、肩書上での段階的な“プロ”“アマ”という区別ではなく、コンテンツの滑らかな位置づけとしてマイクロペイメント(金銭的評価)は必要になってくる』(意訳)とコメントしました。


恋塚さんの発言を聞いていて、どこかマイクロペイメントの導入には消極的だなぁという印象を受けたのですが、同氏が『とりあえずは有料会員の月額課金で黒字化の目処が立っている』とも述べているように、どうやらそれは図星かと。それに、濱野さんへの回答も裏を返せば『“プロ”と“アマ”を混在させない限りはマイクロペイメントの導入はありえない』ともとれますし、公式チャンネルに対しての一般動画(=UGC)は飽くまでアマチュアの作品である、という運営側の姿勢も見て取れなくもない。飽くまで私見ですが。


伊藤さんも『CGM文化はある種の社会的規範(親が子を無償で育てるような、ユーザー間の利他意識)の上に成り立ってきたものであるから、次世代の評価システム(制作インセンティブ)を考えるとしても金銭的対価とはまた違ったものを模索していきたい』(意訳)とコメント。


実際のところ、濱野さんのマイクロペイメントの議論自体は特段新しいわけではなくて、数年前からUGCシーンで結構声高に主張されていることです。それでも依然として導入がなされないのは一体どういうことか。


しかし、コンテンツプラットフォームの制作側であるお二人が揃ってマイクロペイメントの導入に難色を示したことは、よくよく考えてみれば自然な反応ではあるんですよね。


まず第一にインフラが整備されていないということ。マイクロペイメントの本質は“投げ銭”です。投げ銭というものを翻って考えてみれば、そこには「小銭は簡単に投げることが出来る」という暗黙の前提があるわけですよね。ポケットからだして、ぽいっと投げることが出来る。そういう心理的、物理的障壁が極めて薄いからこそ“投げ銭”という考え方は活きる。しかし、現状ネット上でそのような「小銭を投げやすい」インフラが整っているかと言えばまったくそうではないですよね。100円の古書を買うのにも、クレジットカードは依然として必要だし、数あるネット電子マネーのアライアンスは目処が立たず、サイトごとに使用可能な通貨が変わる。同じ国内なのにw


つまりは「リアルで煩雑な事柄が手軽に行える」というネットの特性を全く活かせていないんですよね。僕の周りでもクレジットカードを持っていないからamazonで買い物が出来ないと嘆いている友人がいます。もちろん、彼がネットに不慣れだということも否めませんよ。だけど、これからの時代本当にEコマースを主流に持ち上げるのであれば、そういった層こそ取り込んでいかないといけないと感じるのですが。


そういった背景から電子決済のファシリテーションは急務です。そしてリアルのような他社間のアライアンスも必要だと思います。つーかどうせ流行ってねーんだから統合しちまえばいんだうわなにするやめr


第二に、マイクロペイメントの仕組みは企業側にあまり直接的なメリットをもたらさないと言うことです。いくらプロシューマーへの制作インセンティブになって新規参入が増えるとはいえ、実際にお金が動いているのはP to P。その流れによって企業側がなにか利益を得るかと言えばそうではないですよね。その証拠に、今現在ニコニコ動画で導入されているマイクロペイメントらしき機能であるニコニ広告はニコニコポイントでしか出資出来ないし、ニコニコポイントの購入はニコニコ動画でしか出来ない。つまり…まぁいいや。


第三に、マイクロペイメントが導入されたとして、それがどのような働きをするのか実証データが少なすぎるということですよね。UGCシーンが「ネタ型」と「アマチュア型」で埋め尽くされている以上、金銭的対価という責任は、ネタ意識やアマチュア意識では背負いきれない気がしてなりません。


いやはや。またAIR CONTENTSの体系化は振り出しに戻りつつあるわけですね。ただ、マイクロペイメントはまだどこも大手が実装していないから、何とも言えないんですけどね。どこもやらないんなら俺がそのうちやっちゃうよ?


はい。というわけで、三回に分けてお伝えしてきた「CGMの現在と未来」レポートは今回をもって終了ということになります。またこういうイベントに参加する機会があれば、積極的にお伝えしていきたいと思いますので、少しは期待して待っててくださいね!ではでは。