そして少女は大人になる〜映画『けいおん!』感想


まえおき

いやー最近ホントすごいっすね。
何がすごいって奥さん、映画『けいおん!』ですよ。

間違いなくこの冬邦画No1ヒットですよ。
同時期に封切られたスティーブン・スピルバーグ監督の『タンタンの冒険 *1 』を押さえて堂々の1位なんてニュースもききますね。

閑話休題
本エントリーはタイトルどおり映画『けいおん!』の感想文です。本題に入りましょう。

えーっと。
僕はまず公開初日に新宿で19:30の回を見たのですが、もう超満員でしたね。
保険を兼ねて16:00くらいに予約しておいて大正解でした。
それで会場が始まる時間になると改札口には黒山の人だかりが。
入るのに苦労しました。
我らがけいおん厨の人たちに加えて。カップルや友だち連れの人たちが多かったのが印象的でした。

あ、え? 僕?
もちろん。紳士たるもの正々堂々1対1の勝負に臨みましたがなにか問題でも?

それで昨日友だちにつきあって2回目を観に行ってきたんですが……
目からウロコが落ちましたね。いやマジで。
1回目みて「まぁこんなもんだよなー」って感想を書く程でもないかな……と思ってたんですが、昨日観直してみて1回目とぜんぜん違う印象をもてました。
端的に言うと。1回目はストーリーを追うだけで精一杯だったんですが、2回目は余裕を持って演出部分を観ることができました。そうして細部を見渡してみると、なるほど確かにこれは素晴らしい作品だなと自信をもって言えるようになりました。

ここから感想になります。
もちろんネタバレになりますのでご注意を!

横顔からみる唯と梓の成長物語

まず僕が1回目から気になっていたのがこれ、横顔の演出です。
全篇を通して、とにかく横顔のカットが多かった。
特に唯の横顔が数多く描かれ、印象的でした。

で。

1回目見たときには「あ〜唯かわええな〜」くらいにしか思えなかったんですが、2回目でハッと気が付いたんですよ。
人の横顔というものは、すべからく大人っぽい、物憂げな印象を与えさせます。「大人びた横顔」なんていいますよね。
だから、執拗に繰り返される唯の横顔は、少なからず彼女の成長を連想させるのです

上の画像はTV版1期第1話の唯の横顔のカットですが、この時唯はまだ軽音部に入部しておらず『部活どうしようかな〜』とぽけーっとしています。この表情からみて取れるとおり、この時点(1話)で唯は律をして「テンポの悪いドジっ娘」と言わしめているので、確かに納得です。

そして今度は同じく1話の後半パート、澪・律・紬の3人が演奏する「翼をください」を聴いたあとの唯の横顔です。
もう全然違いますね! きらっきらしてますね!
この2つの画像だけでも『けいおん!』を語れると思います。

ですが、劇場版では唯はこのどちらでもない“もうふたつ”の横顔を見せてくれます。
当然参考画像はないのですが…それがどういう横顔かというと、「梓への曲を考えているときの顔」なんですね。

映画の始まりで梓を除く軽音部の面々は「卒業旅行に行こう!」という計画と、「梓に何かプレゼントをあげよう!」という二つの計画を立てます。前者は梓を巻き込んで進行しますが、後者は一貫して秘密に進められます。全篇を通して梓:四人という一見“仲間はずれ”な構図が出来上がるわけです。

これは結構象徴的でして、2年間一緒に頑張ってきた彼女たちの根本的な立ち位置の差が浮き彫りになったわけですね。巷で「あずにゃんぼっち問題」と言われている構造です。まぁ、これはもうホントにかっこわらいなんですが、とにかく「卒業」というタイムリミットを前にして初めて彼女たち5人が対峙した立場の違いです。そして、この「梓への曲を作る」という課題が本作品のメインテーマとなっており、作品中で一本筋が通った“物語”になっています。

さて、無事日本を発った軽音部はロンドンでてんやわんやするのですが、その道中も3年生4人は曲作りに奔走します。
その中でも唯は言いだしっぺなのでより真剣に考えて、ふとしては物思いに耽るのです。
そのとき唯が見せる横顔が、TV版の彼女が見せたことのないような、とっても大人びた表情なんです。

“可愛い”といより“美しい”という言葉がぴったり、というか。
とにかく、TV版の唯が見せたようなあどけなさが残る少女の顔ではなく、大人の女性の横顔に見えるのです。

全体としてかなり唯のモノローグが多く、唯が一人の人間として(TV版はあまりにも小動物ちっくすぎるw)悩み、考えるという描写が、唯の“大人っぽさ”を象徴づけています。もちろん、完全に大人というわけではなく、行きの飛行機の機内で梓に書きかけの歌詞を見られて

唯「……何か見た?」
梓「いえ……」
唯「そっか……ならいいんだ」

というやりとりをするときの空気といったらw
唯がもつ子供っぽい魅力がよく表れています。

そして唯は結局歌詞を完成させられないまま帰国の途につきます。
ですが、ロンドンの旅行中、最も印象的なのが最終日の野外イベントでの演奏です。

飛行機の時間が迫り、いよいよ最後の曲となった「ごはんはおかず」の演奏中、唯は観客の中に小さな赤ちゃんの姿を見つけます。そのまさに天使のような姿を目の当たりにした唯ははりきって、演奏の最後にアドリブ演奏をねじ込みます。そうしてライブは終わるのですが、空港に向かって走る道中、律にそのことについてたしなめられた唯は思わずこう言います。

唯「ごめ〜ん! だって赤ちゃん可愛かったんだもん〜。カッコイイとこ見せたくなっちゃって〜」

そしてロンドン編は唐突に終りを迎え、物語は最後の卒業式編に移ります。
卒業式編はTV版2期24話のサイドストーリーとなっていて、TV版本編では卒業式とさわ子先生へのプレゼントがフォーカスされましたが、映画版ではそれはカットされ、その代わりにクラス全体を巻き込んだ「卒業ライブ」と、映画全体で取り扱ってきた「梓へのプレゼント」……すなわ『天使にふれたよ』の制作過程のクローズアップがなされます。

「卒業ライブ」はまた『けいおん!』を語る上で外せないポイントなのですが……今回は残念ながら文字の都合上カットします。
機会があれば、是非。

「卒業ライブ」が終わると、いよいよ物語は佳境。
最後の登校日を終え、梓と4人は一旦のお別れを迎えます。
未だに唯たちの目論見が何なのか見破れず、訝しがる梓をよそに、4人は『天使にふれたよ』の仕上げに入ります。紬の作った曲に4人全員が自分なりの歌詞をつけ、いよいよ卒業式の前日に完成します。

そして迎えた卒業式前日――。
TV版の24話で朝遅刻した唯はこんな言い訳をしていました。

唯「ごめ〜ん! 朝はやく起きてギー太を触ってたら遅くなっちゃて」

本編ではそれについて説明はされないのですが、映画版ではこれは実は唯が『天使にふれたよ』の歌詞の一部分……

でもね、会えたよ! すてきな天使に

というサビの部分の歌詞を最後まで考えていたから、ということになっています。
もともと完成した曲では「天使に」の部分が「君に」になっていて、唯はこの部分がどうしてもしっくりこず、色々変えて歌ってみるのですが納得がいきません。そうこうしている間に時間はきてしまいます。

卒業式を終えた4人は梓よりも先に部室に向かい、準備を整えます。
するといつもは空いていなかった部室の隣にある屋上の扉が開いていることに気が付きます。
高校生活最後のひととき、そして梓へのプレゼントという最後の仕事を前に、唯たちは声にならない思いを叫びます。
このシーンが僕本当に好きで、思わず泣いてしまいそうになりました。
「卒業式の日に始めて開いた扉」というのも泣かせる演出ですよね。

真っ白な薄光が指す幻想的な雰囲気のなかで、4人は3年間の思い出を振り返ります。
このソフトフォーカスがかかった太陽の光の演出は物語前半のゴミ捨てに行くシーンでも観られますが、「いまこの瞬間もまた思い出の中にある」という演出なんでしょうね〜。
そして未だ歌詞の最後の一部分を決めかねていた唯は、梓との思い出からあることを思い出します。

唯「私たちがあずにゃんに最初に演奏した曲って、『つばさをください』だったんだよね。(中略)だから……あずにゃんが私たちに翼をくれたんだよ。あずにゃんは私たちに翼をくれた、天使なんだよ」

そう、唯はここにきてやっと気がついたのです。
軽音部の一員でも、放課後ティータイムの一メンバーでもない、中野梓」というたった一人の“後輩”の存在を、です。

それまで唯にとって梓は仲の良い「友だち」であったり、優秀な「メンバー」ではあったことでしょう。
いつも練習しないことをたしなめられたり、「唯先輩は私がいないとだめなんだから」と心配をかけたり……。

ですが、唯は卒業という別れを前にしてやっと梓という一人の大切な“後輩”の存在に気がつくのです。
唯が始終浮かべていた大人びた横顔の正体……。
それは、自分と梓の関係を“先輩”と“後輩”として認識し始めていたということなのです。
自分という存在が梓とまったく対等な関係でないということを自覚し、平沢唯という“先輩”としての自分を意識したのです。
それまで好き勝手にゆるゆると過ごしていた唯が、始めて他人のために何かを為そうと立ち上がった……これが映画『けいおん!』で描きたかったテーマなんだと思います。
ロンドンのライブで唯が赤ちゃんにカッコイイところを見せたかった、というのはここに繋がると思うんですよね。


そして部室にあらわれた梓に、4人は『天使にふれたよ』をプレゼントします。
ここからTV版と劇場版がシンクロして、物語はクライマックスに向かいます。

TV版だとここで梓が泣き出してしまい、そんな梓に唯は優しく手を差し伸べます。

そして演奏が始まり……


二人は向かい合います。
この唯の横顔は、今まで載せた3枚のどれとも違う表情をしています。
この横顔は、まさに成長した大人の平沢唯そのもの。
梓という子供に優しく語りかける、年上の“お姉さん”なんです。

一方の梓も、いままで見たことのないような唯の一面を垣間見て自分がずっと“後輩”だったんだということに気が付き、それまで思いも及ばなかった“後輩”としての自分を意識させられたのです。
ああ、叶わないな――と。
やっぱり先輩はすごいな――と。


だからこそ言わせてもらいます。
劇場版『けいおん!』の主人公は梓だった、と。

周知のとおり、4人はこのあと同じ大学に進学し、いままでと同じ日常がまた続いていくことになります。
それを「幻想だ」と批判することももちろんいいでしょう。
卒業、そして離別をきちんと描くことでこそ浮かぶ瀬もあると。

ですが、それはあくまで4人にとっての話なのです。
この演奏が終わって、4人が卒業してしまったら、梓にとっての日常は失われてしまう。
梓にとって“卒業”は確かに悲しいお別れなのです。
一方の唯たちにはお別れの悲壮感はありません。
もちろん、それは4人一緒の大学に進学が決まっているということもあるのかもしれません。
ですが僕には、唯たちが歌う『天使にふれたよ』こそが、本当の意味で一人ぼっちでお別れをしなければならない梓への、精一杯の励ましの言葉だと思うのです。
だからこそこのシーンは感動を誘うのです。

でもね、会えたよ! すてきな天使に
卒業は終わりじゃない
これからも仲間だから
一緒の写真たち
おそろいのキーホルダー
いつまでも輝いてる
ずっと その笑顔ありがとう

確かにこの結末は唯たちの日常の“卒業”ではないのかもしれません。
ですが、確かに梓にとっての掛け替えのない思い出の終わりなのです。
そして、僕たち視聴者との思い出の終わりでもあるのです。


演奏が終わった後、カメラは外からのカットに代わります。
ゆっくりフェードアウトしていくカメラに映っているのは左右2つの窓から見える、梓と唯の姿。
“卒業”に引き裂かれる、二人の姿です。

だからこそ、僕はこう思うんです。
アニメ『けいおん!』は平沢唯の成長物語であり、その主人公は中野梓だったと。
音楽が彼女たちを直接成長させたわけでは、もちろんないでしょう。
ですが、彼女たちは音楽を通して間違いなく成長して、大人になった――そう思うのです。

TV版では見えにくかったこの作品が描きたかったテーマこそまさにこれです。
青春という、冗談みたいにきらきらした思い出をしっかりと描くこと。
少女たちが大人になる過程をしっかりと描くこと。

“卒業”という不可避の離別を、いかにして描くか?
もちろん、青春が永遠につづくことはありません。
だからこそ「大学編は蛇足」という指摘もなりたちましょう。

ですが、スタッフはそれにかなり自覚的だったと僕は思うのです。
映画の最初のシーン、目覚まし時計の「チッチッチッチッ」という音から始まる演出はTV版1期第1話へのオマージュですが、TV版のそれが「さあ始まりますよ!」というスタートの演出だとすれば、映画版のそれは「もうすぐ終わってしまう」というタイムリミットの演出です。

この日常は確かに永遠じゃない。
それはきっと“ぬるま湯”という幻想なのかもしれない。
それでも、いまこの瞬間の思い出は確かに永遠なんだ!
……そういう彼女たちのきらめきを、僕は感じられたように思えるのです。


最後に。
観に行ってない人は今すぐ観に行くといいよ!!

恋人、友達、先輩、後輩……永遠でないかもしれないけれど、今たしかにキラキラした日常を一緒に過ごしている大切な人たちと是非観に行ってほしいです。
少なくとも、TV版と劇場版ではまったく違う作品に仕上がっていますよ!
……あ〜あ、僕ももう1回くらい観に行こうかなぁ?


それでは!

*1:余談ですが『タンタンの冒険』も凄い面白かったですよ。全篇フルCGアニメーションながらフルモーションキャプチャで制作されているので、動きが本当にリアル。日常シーンは実写とみまごうばかりのリアリティでしたね。それに比べてアクションシーンの素晴らしさといったら! 遠近感や物理演算がフルに有効活用できる3DCGならではの迫力でした。「ああ、なるほどこれは確かに実写はオワコンだな」と言わざるをえませんでしたね。特に物語の後半、カラブジャンの港町でタンタンが隼を追うシーンは圧巻の一言。是非観ることをオススメします。僕は新宿のピカデリーで公開初日に偶然みたのですが、客層がばらばらすぎて面白かったです。