CGMの現在と未来に行ってきたよ!中編:伊藤博之さん「初音ミク as an interface」


今回は初音ミクの発売元でお馴染み、クリプトン・フィーチャーメディア社長の伊藤博之さんのお話を紹介させていただきます。


題名から分かるとおり、伊藤さんは初音ミクをインターフェース、つまり人と人との媒介物だと捉えているようです。インターフェースの分かりやすい例は「言語」でしょうか。つまり、誰にも彼にも使われることが出来る、共有物だそうです。


つまり、N次創作でいう上流というか源流たる一次創作作品の事を指しているんだと思います。初音ミクというソフトウェアのことではなくて、歌声合成機能をも含めたキャラクターとしての初音ミクのことでしょうね。


そして、伊藤さんは現行の著作権法はこの初音ミクのインターフェース性を阻害するものだとも述べています。


そもそも著作権とは、「他人が作った作品を無断で使用してはいけない」という考えの基に制定されており、著作権法が制定されるまでは、全ての著作物は原則として自由に使用することが出来たそうです。そして、一旦著作権法が改正され、全ての著作物が無断利用が出来なくなり、現在はその上で著作者の許諾無しに利用できる範囲を制定し直したとか。


しかし、初音ミクをはじめとするUCGムーブメントは、明らかにN次創作の力に寄るところが大きいことは間違い有りません。そして、その中心にあるのがクリプトンが権利を所有している「初音ミク」という商品ですね。それが先ほど紹介した“インターフェース”という考え方に基づいた初音ミクの在り方です。しかし、インターフェース(=N次創作)の基本理念である「誰もが自由に利用できる」という考え方と、「誰にも彼にも勝手に使われては困る」という現行の著作権法の理念は背反します。しかしながら、UGCという新しいムーブメントを利用したマーケティングを行う際に、現行の著作権法は権利者の利益を守るというより、むしろ機会損失を促してしまっているような気がします。


そういうダブルバインドにあって、クリプトンのとった手法はまさにweb3.0的マーケティングケーススタディであると言えます。


それがUGC型コミュニティサイト「ピアプロ」の設立と、それに際しての「PCL(ピアプロ・キャラクター・ライセンス)」の制定です。


PCLは、自社のキャラクター商標の二次利用に際してのガイドラインです。クリプトン側の見解として、『二次創作はファンアートであり、それらをむげにすることはしたくない』そうであり、ガイドラインに従う限り、それらの二次創作作品は権利侵害に当たらないようにした、という訳ですね。そして、ピアプロの役割がそのガイドラインの有効範囲の可視化です。ピアプロはクリプトンが直轄で運営するコミュニティサイトであり、ピアプロ内では権利関係はクリアになっています。


また、ピアプロ内の二次創作作品をN次創作する際は、ピアプロ・リンクという『あなたの作品を元に作品を作りましたよ』という断りを入れることで「創作ツリー」が目に見るようになっています。また、これらは非営利目的(利益を得る目的でなければある程度は有償配布可)でのみの利用が可能となっています。


詳しくは解説動画をご覧下さい。




さて。ここから感想。
著作権法。んー。これからどうなってくんだろう。現行の著作権法では(PCLの範囲外)原著作物に対しての二次創作物の権利は全て現著作権者に帰属するわけでしょ。だから、まぁ言い方は悪いと思うけど、殆どの二次創作物は現著作権者の温情を賜っているだけで、その二次創作著作権は無いに等しいわけですよね。だから、何かにつけて目を反らしているけど、UGCシーンはグレーなことで満ちている。『まぁこれくらいは大丈夫だよね…』という常識に則った判断ですら、法律的には危なかったりする。だから、ネットで自作イラストを無断で利用されて色々問題になることが多々あるけど、それが何かの二次創作だったりすると、権利の帰属とかどうなっているのか、色々とグレーだよね。その作品自体は二次創作者の著作物だし、その作品の意匠は原著作者に帰属するし…。


はっきり言ってこのままなぁなぁにしておくのは後々面倒だと思うけどなぁ。


そういう意味でPCLとピアプロはweb3.0的なんですよね。


今まで、不明瞭だった権利関係を可視化して、著作物の権利帰属率なんかも分かるようになった。クリプトンとしても、お膝元でなら安心して自社商標の二次創作許可を出せる。プロシューマーとしても、自分の作品に変な負い目を追うことなく思い切り創作とコミュニケーションを楽しめる。こういう関係がこれからの理想型だと思う。


これも友達からの受け売りだけど、『二次創作やネタにされたぐらいで原著作物の利権が侵されることはなく、むしろ原著作物の強度、認知度が増すだけ』というのは案外正しいような気がする。二次創作されるっていうことは、その作品のポテンシャルというか潜在的なエンターテイメント性が間違いなくあるっていうことだし、N次創作ツリーの大きさや樹齢はそのまま作品の耐久度や普遍性の証左になる。一種のステイタスですよね。


ジブリ作品なんかが良い例じゃないですか。「天空の城ラピュタ」がテレビで放映される時、2chtwitterでみんなが『バルス!』なんて書き込み合っていますけど、あれは結局“ラピュタ”が皆の間で普遍的な存在だからでしょう。UGCムーブメントでどうして二次創作が主流かといえば、つまりは共通意識の共有に尽きますよね。『自分が観ているこの作品も、みんなが自分と同じ気持ちで観ている』といういわゆる疑似同期感覚、というか碇シンジ君的な『僕は1人じゃない…!』という他者承認の自己的内在があるわけで。「同じ作品を認知している」という事実はコミュニケーションの端緒になるには十分なんですね。だからこそ、傑作と呼ばれるコンテンツは普遍性が強い。誰もが同じ目線で作品を通じたコミュニケーションを営むことが出来る。これって、実は僕の思い描くコンテンツの理想像と重なってるんですよね。


とまぁつまり僕は『コンテンツはコミュニケーションの媒介をしろ』と言いたいんです。コンテンツの本質は「人を楽しませること」でしょう。だったら、作品を通じてのユーザーの交流もコンテンツの仕事の範疇です。特にインターネットが普及していくこれからの時代「どう大勢の人を惹き付けられるか」もコンテンツの重要な要素だと思います。


そういう意味で、これから著作権法の在り方はどんどん議論されていいと思います。全部が全部初音ミクのようにはなれないんだろうけど、企業としてはPCLという選択肢が出来たわけですよね。著作権法もいつまでも第三者目線で事を進めていないで、企業や消費者を鑑みて欲しい。コンテンツは知的財産と読んで名の通り実態がなく、ステレオタイプも存在しないわけだから、それを取り締まる著作権法は常にフレキシブルであるべきなんじゃないかな、と感じます。


さて、次回は恋(恋は異字体)塚昭彦さん(DWANGO)と濱野智史さん(日本技芸)、パネルディスカッション「初音ミクの海外進出」についてお伝えしていきたいと思います。ではでは。