黄瀬やよいの物語〜『スマイルプリキュア!』感想

今週の『スマイルプリキュア!』を見てて思ったけど……やよいちゃんいいキャラしてるよ。

放送前からなんやかんやで話題になっていた彼女ですが、実際僕はそんなに好きじゃなかったんですよ。なので、「あーこういうの好きな人たくさんいるんだろうなー」くらいの感覚で眺めていたんですが、今週ふと気が付いた点があったので珍しく書き起こしてみます。

まず最初に気になっていたのは、やよいちゃんが何かにつけてネットの大友から「あざとい」とネタにされていたことでした。「まぁ、確かに……」と思う部分もあるにはあるんですが、これってよく考えたらおかしい。なぜかといえば、巷に跳梁跋扈する萌えアニメの女の子たちは、大抵の場合、視聴者に記号的な可愛さを提供しているからです。冷静に考えたら「お前ふざけてんの?」という感じの女の子たちがまぁたくさんいるわけですよね。でも、それらは嬉々として受け入れられているのにどうしてここにきて「あざとい」というネタが出てくるんだろうとそう不思議に思っていたというわけです。

で、端的に言ってしまえば、彼女が「あざとい」と言われる最大の理由は他のキャラクターたちが比較的コミカルな描き方をされているのに対してやたらと男心をくすぐるような描き方をされているからですよね。(みゆきちゃんを見てみろよ! あれどういうことなんだよ!)

……とまぁこういうことはアニメの世界というよりはむしろ、僕たちの現実世界のほうで多く起こりうることで、実際合コンで一番モテるのは「ゆるふわ系天然女子」だそうです。こういう女の子は、男からは「女の子っぽくて可愛い!」と人気になる一方、同姓からは「あざとい」(出た!)と言われて疎まれる傾向があるとか。(余談ながら、みゆきちゃんみたいな女の子も実際いるんだ、これが)

ですから、やよいちゃんに対する「あざとい」というネタは実際そういう背景があったりするわけです。

ですが、僕はちょっと違う見方をしてます。

そもそも論ですが、やよいちゃんと他の4人は、まぁ言ってしまえば普通の友だちです。恐らくモテる/モテないという利害(?)関係なんかはまったくない、ただの友だち関係です。ですから、彼女がわざわざ「あざとい」といわれるような行為をみゆきちゃんたちに見せる必要がないんですよね。例えば、5人でいて、他の男の子たちと居る時だけそういう感じであれば、まぁ「あざとい」と言われても仕方ないのかもしれませんけど、あの子たち5人の関係性は基本的に「閉じて」いるので、彼女が意識的にそうしているとは考えらません。

では、どうしてやよいだけがそういう描かれ方をされるのか。
僕はそれは単に、彼女が友だち付き合いに慣れていないからだと思うんですよね。

この物語は主人公であるみゆきがクラスに転校してくるところから始まりますが、みゆきとやよいが友だちになったというのは実のところまったくの偶然で、やよいが屋上でひとりお絵かきに勤しんでいるのを偶然みゆきとあかねが見つけて……という感じでしたよね。

つまり、席が近くで転校初日から仲良しだったあかねや、通りすがりにイケメン具合を魅せつけられたなお、それに土下座でスカウトに向かったれいかたちとは、友だちになった状況がまったく違うんです。彼女たちは、それぞれみゆきが何らかの魅力を感じた上で、「友だちになろうよ!」という流れで関係がスタートしていますが、やよいだけは、まったくの偶然です。

だから、もしみゆきとあかねがやよいに気が付かなかったら、恐らく彼女たちは友だちになってさえいなかった可能性もあるわけです。加えて、その時みゆきは新たなプリキュアを探すという目的も持っていましたから、運動神経バツグンのなおや頭脳明晰なれいかがスカウト対象(嫌な言葉だけど)に入るのは自然な流れだったと思います。

ですが、やよいはどうでしょうか? 

彼女の特技がお絵かきだということは、実際そのときまでみゆきをはじめ誰ひとりとして知りませんでした。クラスの中でのやよいの立ち位置は単なる「地味なヤツ」に過ぎなかったわけです。いくら脳天気なみゆきとはいえ、見ず知らずでこれといっていいところのなさそうな子に「プリキュアやろうぜ!」とは行かなかったでしょう。

しかしながら、偶然とはいえやよいはみゆきたちにお絵かきという特技を見初められ、コンクールに出品することになります。結果的にはコンクールではいい成績は取れませんでしたが、ポスターを仕上げる過程で彼女はみゆきたちとの大切な絆を手に入れました。(ついでに、プリキュアの力も)

さて、結果的にみゆきたちと一緒に行動することになったやよいですが、冷静に考えればプリキュアという役回りは貧乏クジもいいところです。にもかかわらず、とうの本人は至って平静、どいうかむしろ嬉しそうです。

なぜでしょうか?

それは、まずやよいが「ヒーローに憧れていたからでしょう。

古今東西、いついかなる場所でも、ヒーローというのは子供たちの憧れです。そして、その理由は何かといえばまず間違いなく「カッコイイから」です。そしてここが肝要なのですが、なぜ「カッコイイ」ヒーローに憧れるかといえば、それは逆説的に「自分のことをカッコイイと思っていないから」です。

そこがやはりやよいが他の4人と大きく異なる点です。みゆきとあかねが「みんなの笑顔を守りたい」というマクロな視点からプリキュアになり、なおとれいかが「家族の絆はバラバラになんかならない!」「一生懸命さを馬鹿にするのは許せない!」という自らのミクロな価値観を実行するための手段としてプリキュアになったのに対し(そういう意味でみゆきたちは昭和ライダー的で、なおたちは平成ライダー的ヒーローと言えるでしょう)、やよいだけは、「自分の努力を認めてくれたみゆきとあかねを守りたい」、という非常に個人的な理由でプリキュアになっています。

つまり、彼女にはプリキュアとして戦う確固たる理由がないんですね。言ってしまえば、「みんなが戦うから」という理由でプリキュアに変身し、「なんとなく」戦っている。だから実際のところ、やよいにとってプリキュアというのは、みゆきたちと一緒にいるための理由付けに過ぎないんじゃないかと僕は思うんです。

秘密の共有というのは人間関係の構築において非常に強いファクターです。なぜかといえば、その関係にあるどちらの人間もその秘密を他者に漏らすことができないからです。『自分たちしか知らない』秘密があるとき、人はその相手に対して普通よりもより親密さを感じるものです。

だから、やよいにとってプリキュアに変身するということは、みゆきたちとの絆、そして自分の居場所の確認作業のようなものなんじゃないでしょうか。

やよいはみゆきたちに出会うまで、「自分はこういう人間なんだ」とうまく人に示すことはできずに過ごしてきました。それどころか、彼女の中には様々なことに対する深いコンプレックスがあって、彼女は何かにつけて人より劣っている自分を責める傾向にあります。実際、お絵かきについても「子どもっぽい」と否定的な見方をしていました。

ヒーローに憧れるのは、ブラウン管に映った自分の姿が、あまりにもその勇姿とかけ離れているからです。自分もアニメや漫画のヒーローのように強くて、優しくて、かっこ良くて、皆に好かれるような存在になりたい。だけど、現実はそううまくはいかない。運動神経は悪いし、勉強も苦手。怖がりで、引っ込み思案で、人に優しくしたくても、できない。可愛く、かっこ良くなりたいけど、なれない。

やや穿った見方であることは認めますが、僕は黄瀬やよいというのはそういう子なんだと思うんです。

だから、みゆきたちに自分の絵を褒められたとき、彼女はものすごく嬉しかったんだろうなぁ。
コンプレックスだった自分の子供っぽさも、すごいと認めてくれる友だちがいる。それも、ひとりではなく、4人も。
それはきっと、彼女にとってこの上なく幸せなことでしょう。

だからこそ。

彼女はみゆきたちに嫌われたくないんだろうなぁ、とも思うんです。
プリキュアになったからといって、もともと彼女が抱えていたコンプレックスが全て解決されたわけではありません。
それどころか、プリキュアとして戦っていくうえで、むしろ彼女は足手まといにさえなる可能性があるのです。

もし、自分のせいで戦いに負けたら。
もし、自分が疎まれていたとしたら。

そう考えるだけで彼女は気が気でないでしょう。「プリキュア」という秘密をきっかけにしてスタートした関係である以上、自分が「プリキュア」でなくなったら、自分の居場所はここにはないのかもしれない。みゆきたちは、「キュアピース」としての自分を必要としているだけであって、「黄瀬やよい」という人間は必要としていないのかもしれない。

そういう考えが頭に浮かべばこそ、彼女はグループの中でも、あまり積極的になれないんじゃないでしょうか。
これが僕が感じた、彼女が「あざとい」と言われる描かれ方をされている理由です。

恐らくやよいは「嫌われないように」とまではいかないまでも、出来るだけ彼女たちにいい印象を与えるように振舞っているように思えます。誰だって、わざわざ自分を人に悪く見せたりしたいわけはありません。できることなら、可愛い、カッコイイ自分を人に見せたいと思うのが普通です。それも、見ず知らずの人ではなくて、自分の好きな人ならなおさら。

やよいにとってみゆきたちは(おそらく)生まれて初めて自分を受け入れてくれた、認めてくれた特別な存在です。だからこそ、できることならみゆきたちとずっと一緒にいたいし、自分を好きでいてほしい。そう思うのは、まぁ自然な考えですよね。

9話の「うそ〜!? やよいちゃんが転校!?」は彼女が軽い気持ちで言った冗談がいつのまにか収集が付かなくなってどんどん大変なことになっていくという話でしたが、そこで描かれているのはやよい個人の葛藤です。「やよいが嘘をついている」という情報はやよいと視聴者しか知らない情報で、みゆきたちは構造的にやよいの事情を知らないまま物語が進みます。つまり、この話はいつもの回のように「誰か一人にフォーカスして話を作る」という回ではなくて、「やよいのための話作り」になっています。

その内容もじつによく出来ていて、悪気なく(むしろみんなを楽しませようとして)ついた嘘のせいでどんどん自分が追い詰められていくというものでした。その過程で、やよいは何度も自分のついた嘘について告白しようとしますが、何となくそれができません。その理由は、他でもなく、「自分が嘘を付いていたということがみんなに知られたら嫌われてしまうかもしれないから」です。嘘を付き続けるのは当然ながら良いことではありません。というか、できません。しかし、一方でついてしまった嘘を「ごめん、あれ嘘でした」と言うのも同じくらい大変な作業です。なぜかといえば、それを言ったときに「じゃあなんで嘘ついたの? 馬鹿なの?」と言われて当然だからです。だからやよいを苦しめたその葛藤は、誰しも経験したことがあるからこそ、リアリティがあります。

最終的に彼女は自分の嘘をみゆきたちに告白して許されるのですが、それって実はすごいことなんですよね。どうしてかといえば、色々な要因があったとはいえ、やよいのついた嘘によってみゆきたちは少なからず迷惑を被ったからです。にも関わらず、みゆきたちは彼女を笑って許します。僕はこういうところで「ああ、みゆきちゃんすげーな」と思うんですよね。

みゆきちゃんのすごいところは、「〇〇だから友だちである」という論理ではなく、「友だちだから〇〇である」という論理で動いているところ。勘違いしないで欲しいのですが、これは「〇〇だから友だちある。ゆえに△△である」という理論ではありません。つまり、彼女にとって友だちであるということは何の条件もなく成立するもので、その上で「友だちにはこうする」という価値観を実行できる。しかも、彼女はそれを相手に求めません。『仮面ライダーフォーゼ』の如月弦太郎も、そういう系譜にいるキャラクターですね。

思春期の少年少女の人間関係というものは、僕たちが想像するよりも遥かに脆く、可逆的で、とても利己的なものだったりします。とくにクラスという特殊な空間においては人間関係がそのままクラスにおける力と直結するので、実際、非常にドロドロとしていたりします。(まぁ、これは僕の経験論ですけど)だから、もしクラスで「あいつは嘘つきだ」と言われる人間がいれば、当人が嫌われるのはもちろんのこと、「嘘つきと言われているやつと付き合っていたら自分まで嫌われるかもしれない」という暗黙の圧力が働くんです。いわゆる「友だち地獄」というヤツですね。

そして、その圧力に真っ先に屈してしまうのが、黄瀬やよいという人間のもつ弱さなんですよね。もちろん、彼女が悪いということではなくて、彼女は生まれながらにそういう救いようのない弱さを抱えているんです。印象論ですが、やよいだけではなく、あかねやなお、れいかもまた、そういう一般的な「弱さ」を抱えている人間だと思うんです。あくまで想像ですけれど。

でも、みゆきにはその「弱さ」をはねのけるだけの心の強さがあるように感じます。

彼女にどういうバックグラウンドがあるのかは分からないですが、彼女にとって友だちとの絆は何にも代えがたい宝物なんですよね。だからこそ、友だちでいることに理由なんて求めないし、周囲の環境に流されることなく、あくまで個人としてその相手との関係を考える。だからやよいが嘘をついていたことを告白したときも、笑って許せたんだと思うんです。もし、あの場にみゆきがいなかったら、もっと冷たい反応が帰ってきていたんじゃないかなぁ。そういう意味で、みゆきはヒーロー足りえるんです。

ネット上では彼女の見た目ばかり取りざたされて人気が出ていますが、キャラクターの本質はそういう表面的なところではありません。
アニメや漫画のキャラクターというのは、あくまで記号的に可愛く、かっこ良い見た目をしているだけであって、その本質はあくまでその人間性です。僕がいつも考えるのはそのキャラクターが現実にいたとして、自分ならどう思うだろうか? という点です。憧れたり、共感したり、友だちになりたいと思えるだろうか? もしそう思えたのであれば、彼ら/彼女らは間違いなく生きています。

僕がやよいちゃんを魅力的だと感じるのは、彼女が抱える弱さがこの上なく人間臭いからです。実際、彼女は僕たちが想像するよりもずっと身近な存在なんですよ。僕自身も含めて、彼女の抱える弱さを持った人間は、この現実世界にたくさんいるし、自らの弱さとの葛藤を続けているはずです。

だからこそ、この物語は(幾多の)黄瀬やよいのためにあるんだろうな、と思うんです。
あかねやなお、れいかは実際のところ、みゆきたちと出会わなくても普通に楽しく生きていけたでしょう。
でも、やよいはみゆきたちと出会わなかったらずーっと一人で絵を書き続けているだけだったと思うんです。
彼女が脚本的に優遇されているのは、恐らくそういう理由からです。

やよいにとっては、「友だち」も「絆」も、「何かを一緒にやり遂げる」ということも、すべてが初めての体験です。
そういう彼女のピュアなセンス・オブ・ワンダーを通して、シリーズの大きなテーマを描いているのは、非常に興味深いです。

もし機会があれば、彼女の視点から物語を捉えてみると、色々な発見があるのかもしれません。
長々と書いてきましたが、要は「スマプリ面白いからみんな見ようぜ!」ってことですね。
プリキュアシリーズで一番好きなのはもちろんハトプリなんですが、スマプリも負けず劣らず面白いです。

次はれいかさんについて何か書くかも。彼女も魅力的なキャラクターですからね。

それじゃまた。