狂った恋の物語〜『ハチミツとクローバー』感想

※一応ネタバレ注意。その上ものすごく批判的な記事なのでファンの人は見ないほうがいいです。

読み終わったので、つらつらと。
まぁね。この作品を一言で言うとですね。

森田△

以上です(笑)

……いやぁ、超絶重いね。コレ。
僕自身、友だちに進められていて、何年かごしにやっと読み終わったんですけど、与えられていた前情報が「森田△」だけだったので、『さーてリア充大学生のほろ苦い青春群像劇でも見て欝になるか☆』くらいの軽い(?)気持ちで読み始めたんですが……

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

いや、怖いよこの話。何が恐ろしいってさ、登場人物でまともな恋愛(それが何かは知らないけど)をしている人が、竹本くん以外一人もいないところだよ。でも、誤解してもらいたくないんですが、基本的に、この作品の登場人物たちは「イイヤツ」なんです。みんな気のいいヤツで、現実にいたら楽しいんだろうなーと感じさせてくれる人たちです。そして、作中でもそれは正しくて、この子たち、個人個人の友だち関係や、全体としての仲間関係見ればすごい羨ましいんですよ。

でも、それぞれの恋愛関係となると、まるでマトモじゃない。はっきり言って、狂ってる。

まず、真山。

ストーカー乙!

いやいやさすがにヤバイでしょ。ダメだよ、犯罪だってそれ。
うーん。いや気持ちはわからんでもないんだよ、実際。

真山が憧れているリカさんという年上の女性は、真山たちが通う大学のOGであり、花本先生という先生の同級生だった女性です。リカさんは、とある事情から恋人を事故でなくしていて、それをずっと引きずりながら生きている痛々しい人です。真山は、ひょんなことから彼女の事情を知り、決して彼女が自分のことを振り返ってくれないと分かりながらも、彼女から離れることができません。

これはですね、いわゆるひとつのあるあるですね。年上の「オトナの女性」という存在に憧れる男というのは、決して少なくないですね。僕もどっちかといえば年上の女性が好きです。しかしながら、往々にして「オトナの女性」というのは恋愛観も「オトナ」なので、年下の男は恋愛対象に入らないことがあります。需要と供給の不一致です。世知辛いですね。その葛藤に悩んだ少年は、ある日そのお姉さんが知らない男と仲良く歩いているところを見て、大人の階段を昇るわけです。

しかし、この真山という男、一筋縄ではいきません。
リカさんが恋人を失って、もう恋愛をできないという状況を知った上で彼女につきまとっています。
毎夜彼女のマンションに行ったり、車で拉致したり、電車で拉致したり、彼女の事務所に押しかけて就職したり、彼女のメールを築一チェックしてたり、まぁやりたい放題です。

最終的に彼女を追ってスペインまで行きますからね。すごいよその根性。

次に、山田さん

僕は好きでしたよ。可愛いし、素直だし、見てて飽きない女の子です。

彼女は真山のことが好きで、それを彼に伝えてはいるんだけど、真山(↑)があんなんだから当然彼女はふられてしまいます。その時の真山のセリフがこちら。

「なぁ山田、どうして俺なんかを好きになっちまったんだよ」

ほんとだよ!!!

なぜだ……なぜなんだ山田さん……。そいつはお前が思っているようなマトモな人間じゃないんだよ……。

まぁ、そこらへんは個人の自由ですから僕は何も言えないですけど。
でもね、この子ね。真山に振られてからがうざいんだ、コレが。

未練ダラッダラで、ことあるごとに真山のことが好きだと連呼するし、なんだかんだでよく顔を合わせる度にドキドキしてるし。何かのきっかけでその好意が自分に向かないかなぁと期待してしまう。

いやね! 分かるよ!? 分かりますよ、その気持ち!!
でもさ、あまりにも引きずりすぎだろ。物語のスタートからゴールまでずっとそんな感じじゃん。

真山も真山でクソ野郎なんだよ。彼女の気持ちを知りながら思わせぶりな態度をとったり、「紹介しろよ」という友だちからの要望を頑なに拒んでたり。お前がそんなんだから山田さんも諦めがつかねーんだろーが!!!

……つい熱くなってしまった。
要はね、彼女が抱える問題というのは、恋愛に対して奥手過ぎるということなんです。
彼女はなまじ普通に可愛いかったため、小さい頃から箱入りで育てられてきました。箱入りというのは彼女の父親がそういう人だったというのもあるのに加え、彼女の周りに居た幼なじみの男の子たちも変な連帯意識で彼女への好意を恋愛に昇華させようとしませんでした。

結果、彼女は人の好意を純粋に受け取ってしまうイノセントな人間に育ちました。
彼女は恐らく生まれてから今まで他人から悪意を向けられたことのない人間なんだと思うんです。

人間というのは周囲の環境によってその人間性が決まると言ってもよくて、現実でも育ちが良い人は「普通にいいやつ」だということが結構ありますよね? そういうアレです。

他人から悪意を向けられたことの無い人間は、辛辣な言い方になりますが、人の気持ちに鈍感です。鈍感というか、好意以外の気持ちを知らないんですね。それは悪意だけではなく、恋愛もそうです。

彼女は偶然にも真山を好きになることで、「人を好きになること」を知りました。つまりは恋ですね。ですが、実際それはうまくいきませんでした。彼女が真山に振られたあともうまく「失恋」できなかったのは、彼女が人を好きになること「しか」知らなかったからです。

まぁ僕なんかが恋愛を語るのは片腹痛いんですが、恋愛というのは両方が両方のことを好きなだけでは成立しないんですね。というのは、その場合だと、「相手が果たして自分のどういうところを好きなのか?」ということが分からないからです。つまり、「人に好きになられる」ことがどういう事なのか知らないと、求めるばかりで与えることができなくなるわけです。それだとミスマッチが起きていい関係を築くことができません。

山田さんは、真山に振られてしまったあとに、色々あって幼馴染みの男達5人にプロポーズされますが、あまりに突然のことに逃げ出してしまいます。今までずっと友だちだと思っていた人たちから、ある日突然まったく違う種類の好意を向けられたのだから、まぁテンパってしまって当然です。

まぁ、結果的に彼女はそれで自分が真山のことを好きでいたところで真山が自分を好きになることは在り得ないと悟るわけですが……

まだ吹っ切れないっていう(笑)

その後、彼女は真山の職場の野宮という男と知り合い、なんやかんやあるんですが……。
まぁ、この野宮という男も気にくわないんですよ。

真山の知り合いだから、真山と山田さんの関係を完全に把握しながら、目下失恋中の山田さんに電光石火で言い寄り、何かにつけて口説こうとします。物語の後半は、山田さんと野宮のgdgdな関係が続くんですが、これもまた見ていて鬱陶しい。

失恋のできない山田さんは、自分が初めて抱いた「好き」という気持ちを簡単に捨ててしまっていいのか? と悶々と悩み続けて身持ちを固くするし、野宮は野宮で彼女に合うために鳥取から東京まで車で会いに行ったり、車で拉致して(この漫画こんなんばっかりだな)ホテルに連れ込んだ上で何もしないとか、ちょくちょくイケメン具合を見せるんだけど、コイツがいったい何をしたいのかまるで分からない。最後の最後まで野宮が山田さんのことをはっきりと好きだと明記されはしなかったし、ホント謎。

失恋中の女の子の妄想が具現化したようなそういう存在です。人造白馬の王子様的な。
男である僕には、山田さんの体目当てのスケベな男にしか見えなかったけど(笑)

最終的にこの二人がどうなったのかは知らないですけど、もう勝手にしてくださいって感じです。

次に、はぐちゃん

彼女はまぁ、

ただのメンヘラです。

最初から最後までまるで共感できなかった。

もともと長野の山奥で孤独に創作活動を続けていたところを親戚である花本先生に見出され、上京してきた彼女。

はぐちゃんは何かを創作することに関しては天才的で、周囲もそれを評価して彼女にいろんなことを言うわけですが、それが彼女を病ませるんですね。彼女にとって創作活動とは呼吸をするようなもので、それをしないわけにはいかないんです。ですが、本当に呼吸のようなものであるため、周りの人間のことを意識する意味が分からないんです。僕たちが普段呼吸をするとき、周りの人を意識して「いい呼吸をしよう!」と思うことなんかないですよね。それと同じように、誰かに「これこれこういうふうに呼吸しなさい」と言われたら「はぁ?」という風になりますよね。はぐちゃんはそういう人間です。

……というか、もっと言ってしまえば、「それだけ」の人間です。
彼女は創作活動を通してしか人とコミュニケーションがとれません。
それ以外の、例えば彼女がしゃべる言葉は、実際彼女の中で意味をなさないんですよ。

作中では、彼女をとりまく仲間たちが異常に彼女に対して優しいがために普通の人間のように振舞っていますが、彼女は単なる化物です。彼女の周りで様々な人間がそれぞれ複雑な人間関係の悩みを抱えながら生きている間も、彼女はまったくそれについてコミットしません。理解もしません。(それは、はぐちゃんにたいして皆が変に優しすぎるからではあるんですが)

にもかかわらず、彼女は作中で一番モテモテなんだよね(笑)
仮主人公である竹本くん、最強ヒーローである森田さん、そしてジョーカー的存在である花本先生という、この作品の中で比較的マトモな人たちに尽く好意を向けられます。

僕は竹本くんと森田さんが特に好きなので、本当に彼らが不憫で仕方がない。

しかも、この子、最終的に花本先生とくっつくからね。

……いやいや花本先生アンタそういう立場じゃないでしょ。
教師という立場としても、親戚という立場としても(叔父―姪は法律上結婚出来ない)アウトでしょ。

しかもはぐははぐで本当は森田さんが好きなのに、それを違う違うと封じ込めた上で、自分が持っている、花本先生へのプリミティブな恋心に準じようと努力して、結果的にそれを自分で捩じ曲げてしまう。怖いよ。何がキミをそこまでさせるんだよ。そんで花本先生もそこはきっちり断ろうよ。

……まぁ花本先生も被害者の一員ではあるんだけどね。はぐちゃんが事故にあわなければああいう結末になることもなかったでしょうし。

南無阿弥陀仏

最後に、森田さんと竹本くん。

僕はこの二人に幸せな人生を送ってほしい。
というか、結果的にその可能性が残されたのがこの二人だけっていう。

まず、竹本くん。僕は全国のヘタレ男代表として彼に惜しみない賞賛を贈りたい。
彼は、作中で唯一キチンと失恋できた貴重な(?)存在です。

彼は一番最初にはぐに一目惚れして、その後も何かにつけて彼女にアプローチしようと奮闘するのですが、なかなかうまく行かない。それは、竹本くんが単にヘタレだったということもあるんですが、彼の目の前には常に森田さんという勝ちようのない存在がいたからです。

森田さんははっきり言って自由人。何にも縛られず、全てから独立して竹本たちに接するため、物語の要所要所で物凄いヒーローっぷりを発揮してきました。真山にしろ山田さんにしろ、森田さんがいなければもはや生きてエンドマークを迎えられていたかどうかも怪しい(笑)。それだけ森田さんはカッコイイひとです。思い悩む彼らの前に立ちふさがって、体を張って悩みを受け止め、導いてくれます。だから、森田さん実によく怒る。彼らの悩みの深刻さを人一倍知っているからこそ、彼らをどうにかしようとひとり奮闘します。

そんな森田さんですが、どうしてかはぐを気に入ります。はぐもはぐで森田さんのことを何となく気になるようで、それが恋愛かどうかは分からないまでも、それを傍から見せつけられる竹本くんの心中は穏やかではありません。それはそうですよね。だって森田さんかっけーもん。絶対に敵わないもん。どこをどう比べても絶対に自分には勝てない。竹本くんにとって森田さんは常にそういう存在でした。

そんな感じで竹本くんは、自分の気持ちを伝えられないまま、人生の指針までも見失い、「自分探しの旅」にでかけます。なんやかんやあって彼は一回り成長して戻ってきて、はぐに自分の思いを伝えるわけですが、まぁ当然のように振られます。振られるどころか、「は? お前何言ってんの?」くらいのテンションです。そんな結果にも、竹本くんは満足気です。

竹本くん……キミ男だよ(泣)

旅に出る前の竹本くんにとって、はぐちゃん、そして森田さんという存在は、両者が両者とも彼に自信を失わせる存在でした。はぐちゃんに淡い恋心を抱くばかりで、自らの創作活動も、人生の指針も見つけられず、命を削るように何かを作り続けるはぐに声すらかけられませんでした。それは、彼女を見ていると自分の凡庸さ、空虚さが如実に感じられるからでしょう。「好きな人に好きとすら言えない」という悩みがとてもちっぽけに思えてしまって、創作のなか地獄のような苦しみを戦っているはぐは、彼にとって遠すぎました。

一方、森田さんは「森田さん」という存在でもって彼を苦しめました。彼は生まれながらにして「持っている」人間でした。彼がやることなすことは全て上手くいき、あらゆる物事が彼に味方する、そういう人間です。ですが、それ以上に彼が天才的なのは、どんな状況でも他人に流されないということ。確固たる自分を持っていて、常にそれに準じて生きている。だからカッコイイんですね。そして、それというのはこの現実世界でほぼ不可能に近いことだから、こそ。

ですが、旅から帰った竹本くんは本当に清々しい。
彼が日本の果てで何を得たのかはよく分からないんですが、とにかく彼がはぐちゃんに「僕は君が好きだよ」とストレートに伝えられたのは、あっぱれと言いたい。

実際のところ、いくら旅で何かを得たところで、竹本くんは森田さんにはなれなかったし、はぐちゃんにもなれなかった。だからこそ、自分は自分だと胸を張って言えるようになりました。自分は森田さんのようにヒーローにはなれないし、はぐちゃんの隣にも立てない。だけど、自分が彼女を好きであることにそんなことは何の関係もない。そう思えるようになったんですね。

そして、物語は彼が青春の象徴であるアパートから出て、街を離れるところで終わります。

――オレはずっと考えてたんだ
うまくいかなかった恋に意味はあるのかって
消えていってしまうものは無かったものと同じなのかって

いまなら分かる 意味なるある あったんだよここに
時が過ぎて何もかも思い出になる日はきっと来る
――でも

ボクがいて 君がいて みんながいて

たったひとつのものを探した あの奇跡のような日々は
いつまでも甘い痛みとともに 胸の中の遠い場所でずっと
なつかしく回り続けているんだ……

……最終的に竹本くんは自分の好きな女の子を「救うことさえ」できませんでした。
4年間の(正確には5年ですが、物語の時間軸で云えば4年)大学生活のなかで彼が成し遂げたことといえば、はぐちゃんに「好きだ」と伝えられたことだけです。自分探しの旅の道中、自分の進むべき道を見つけることはできましたが、大学生活のなかで彼が何かを「勝ち取る」ことはできなかったわけです。ですが、恐らくこの物語で一番幸せなのは間違いなく竹本くんです。

なぜかといえば、彼は紆余曲折をへたもののモラトリアムから無事「卒業」できたからです。

真山はリカさんという幻想から結局離れることができず、正式な恋愛関係にはなれないままに彼女を追ってスペインに渡りました。山田さんは最後まで自分本位な恋愛観から抜け出せず、野宮さんという都合のいい王子様に甘えてよく分からない関係に落ち着きました。はぐちゃんは4年間一緒に大切な時間を過ごし、本心から優しくしてくれた皆との関係よりも、創作(=生きること)を続けることを選びました。そして、花本先生はそんなはぐちゃんを救うために自分の人生を犠牲にしました。

そして、何よりの被害者が森田さんです。
彼は、素晴らしい才能と人間性を持ちながらも、うじうじと悩み続ける彼らを救うために自らの身を粉にして奮闘したにも関わらず、森田さんに救われた彼らは誰ひとりとして森田さんに手を差しのべることをしませんでした。はぐも、山田さんも、真山も、彼に救われたことなど忘れ、あくまで自分本位の考えを突き通しました。だから、森田さんが兄弟の復讐劇を終え、生きる意味を見失いつつあるときにさえ、はぐは彼のことではなく、自分のことを考えていました。森田さんがはぐから身を引いたのは、彼の優しさにほかなりません。

この物語における人間関係の問題点は、最終的に失恋できなかった人たちが落ち着いた恋愛関係が、尽く対等な関係ではないという点です。リカさんは真山の好意に気が付きながらも無理だと頑なに拒み続けながらも、どういうわけか真山と寝たりもする、普通に自分勝手な人間です。そして真山は、そんなリカさんを「救おう」と必死になり、結果的にそれはできたのかうやむやです。山田さんは上述したとおり、とにかく自分勝手。真山の優しさに甘え、野宮の優しさに甘え、その上その自覚がない。野宮もなぜかそんな山田さんを体を張って「救おう」としますが、彼の心中は結局明かされませんでした。はぐは自分には創作のない人生はありえない、と言いますがそれは実際嘘です。確かに彼女にとって生きることは作ることなのでしょうが、それはいつでも彼女を支える存在があったからです。彼女はそれについてまったく自覚していません。その上で、大胆にも花本先生に「あなたの人生をください」と言ってのける。花本先生もそんなはぐを「救おう」と自分の人生を犠牲にします。

もう分かると思いますが、これらの関係は全て「救う」「救われる」という歪な関係なんですよね。
リカさんも、山田さんも、はぐも、なんだかんだと持論を並べて強がりながらも彼らがいなければ生きて行けないんです。
にもかかわらず、自分では彼らに「救われている」という自覚がまったくない。

一方、男性陣はどういうわけか全員が全員自分の人生をふいにしてまでも彼女たちを「救おう」とする。

僕はこれが恐ろしくて恐ろしくてたまらないんですよ。
はたして、彼ら彼女らがそのまま恋愛関係になったとしても、ぜっっったいに幸せにはなれませんよ。

だから、最終的に竹本くんがこの歪んだ関係から「退避するように」フェードアウトしていったのは実に示唆的です。
だって、彼の中ではこのおかしな関係が「大切な思い出」になったんですから。
彼はなまじヘタレだったおかげでそのぬかるみに足をいれず、結果的に「卒業」ができました。

しかし、彼と森田さん以外の全員、花本先生やリカさん、野宮までもが、喉にヘバリ付くような終わりのないモラトリアムに閉じ込められてしまいました。僕にはそれが心底恐ろしいんです。

そして、森田さんははぐを思って自ら身を引き、単身アメリカに渡ります。
森田さんは前述のとおり独立した存在ですから、彼ら彼女らの関係には深入りしませんでしたが、恐らく彼の中に残ったのは行きようのない徒労感でしょう。彼は他の人たちと異なり、誰かを「救う」ということを意識することのない人間です。あくまで、自らの思ったことをビシッと言って、それに行動を伴わせているだけです。だから、一度は卒業し、また再入学を果たした彼が最終的にアメリカに行くことに決めたのは、あの場所に自分の居場所を見つけられなくなったからだと思うんですよね。「自分のしたことは一体何だったのか」さすがの森田さんもそれくらいの文句は言いたくなるでしょう。

ご存知のとおり、森田さんは『東のエデン』の滝沢朗のモデルになったキャラクターです。
東のエデン』の中で彼は一度自分の記憶を消してまで日本を救おうとしました。
彼が記憶を消したのは、彼が救ったはずの「無責任な大多数」の人間に尽く裏切られたからです。

人は、人に救われることはできても、人を救うことはできません。
徹底したヒロイズムに徹するのであれば見返りを求めてはいけません。(『仮面ライダーOOO』の火野映司のように)
だからこそ、「救うー救われる」という恋愛関係は破綻するんです。
人は人に「救われ続けること」は可能でも、「救い続けること」は不可能です。
なぜなら、「救うこと」自体はその人の「救い」にならないからです。

そういう意味で、モラトリアムという呪縛から無事脱出した竹本くんと、諦めるように去っていった森田さん。
彼らは自分の求めるものは確かに何一つ手に入りませんでした。ですが、結果的に彼らは前に進むことができました。

僕は彼らの幸せを願ってやみません。
自分は誰かを救えるという驕りを持った真山と野宮、それに甘えるリカさんと山田さん。
彼らは決して幸せにはならないでしょう。自分たちは幸せなんだと自己暗示を続けるしか、生きるすべはありません。

はぐちゃんと花本先生は、実際、恋愛関係ではありません。あれは、親子の関係です。
だから、ある意味救いがあるのかもしれません。でも、だからこそ、花本先生は、はぐを「救う」という呪いを、未来ある竹本くんや森田さんに押し付けなかったんでしょうね。これは自分の招いた結末だと、その役目を諦めるように受け入れたんでしょう。

……或いは、そこまでしても「救いたい」ほど好きな人がいるというのは幸せなことなのかもしれません。
が、しかし。僕にはちょっと理解出来ないですね。現実でもそういう関係は普通にありそうだから、苦い気持ちになります。

軽い気持ちで読むと、不要な心労を被ることになる、素晴らしくよく出来た、作品です。